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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

「アルプスの少女ハイジ」HDリマスター版放送を観て

21 42歳からの子育て

先週のこと。
CSの番組表を眺めていたら、「アルプスの少女ハイジ」の一気放送をたまたま見つけたので、あわてて録画予約しました。
全52話。なかなかのボリュームです。

ところで、なんでこの時期に「アルプスの少女ハイジ」なのかというと、8/12は「ハイジの日」なんだそうです。
ホームページもありました。
www.heidi.ne.jp

日付は8と12で「ハイジ」と読む語呂合わせからということらしいですが、制定されたのは2014年。
「ハイジ」が放映されたのは1974年なので、放映から40周年にあたるのが2014年で、著作権管理会社によって制定されたとか。

さて、その「アルプスの少女ハイジ」ですが、平成の子どもたちにはどううつるのか。
さすがに全話を観たわけではありませんが、5歳になる娘といっしょに数話を見てみました。

1974年の放送ですから、ぼく自身も娘とだいたい同じ年齢のときに観たということになります。
ということは、うわ、もう40年以上になるのか・・・しみじみ。

初回からじっくりと観ましたが、1話のなかにこめられているエピソードというのはじつはそんなに多くありません。むしろ、とてもシンプルな筋立てになっています。
たとえば、第1話は、ハイジの紹介と叔母さんのデーテが彼女を連れて、デルフリ村から離れたアルムのおじいさんに預けるまでになります。
つづく第2話は、はじめての山小屋に慣れ親しんでいくハイジの姿を描きます。第3話はヤギ飼いの少年ペーターと一緒に、山の牧場へ。はじめて出会う動物たちに驚き、花畑で遊びます。

閑話休題
詰め込みすぎない構成のなかで、キャラクタがのびのびと動いています。
そのシークェンスに、子どもたちは飽きもせずについて行って、1話1話しっかりと観てくれています。ぼくは、劇中会話のペースが緩いかもしれないなと感じましたが、子どもたちはまったく気にしていないようです。
それよりは、キャラクタの喜怒哀楽の表現にちゃんとキャッチアップし反応しています。

演出の高畑勲は、後にこう書いています。

物語の内容は様々でも、素材は共通して古典的名作、舞台は古き良き欧米の美しい自然と村や町。家庭的に幸せとはいえない主人公が明るくけなげに生きてゆく姿をたっぷりと一年かけて描きあげる。
原作をダイジェストするのではなく、いたずらに事件主義で表面的なドラマを追加するのでもなく、むしろ傍役を含めおのおのの人物像を豊かにふくらませる。
物語の大きな流れは原作の進行にまかせ、そのなかで主人公の日常にいわば密着取材して彼等の一日一日の生活(生き方)を克明に追いかける。
(中略)
表現は日常感覚を大事にしつつ明快かつ緻密、過度の刺戟は避け気品のある画面作りを心がける。細部をおろそかにせず、テンポは速すぎるよりは落ち着きを選ぶ。
性格的な登場人物のキャラクター作り、豊かな表情と動作。
四季折々・朝夕の自然の多彩な変化と地方色豊かな町や家々のたたずまい、屋内の家庭的な暖かい雰囲気、日常生活用品に至るまでしっかりと描きこみ、みつめるに値する美しい実在感のある映像として提出する。(高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(文春文庫)。改行は引用者)

「ハイジ」の演出ノートといっていいですが、これは高畑自身がこの「世界名作劇場」シリーズ*1において、「ハイジ」につづいて「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」を演出した基本のスタイルでもあります。

少し残念なことに、この文章は、視聴率20%越えがつづいたこのシリーズから、ゆるやかに視聴者が離れていきはじめた時期に書かれたものです。

でも、うちの娘は「ハイジ」のオープニングで、冒頭ハイジがブランコから雲に飛び乗ったシーンを観て、
「ハイジみたいに、あたしも雲に乗ってみたい!」
と画面に語りかけていました。

そのダイレクトな反応こそは、放送から40年経っても変わらない貴重なものなんだろうと、ぼくはうれしくなったのです。

映画を作りながら考えたこと〈2〉1991‐1999

映画を作りながら考えたこと〈2〉1991‐1999

*1:じつは「ハイジ」は公式にはこのシリーズ作品とは認められていないという。