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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【小さな旅】司馬遼太郎について思う二、三のこと ~安城市読書会 (2)

20 同時代ノート 30 自在眼鏡の本棚 34 エッセイ・コラム・散文

朝4:00くらいに起きて、選手たちの奮闘をよそに朝湯に浸かり、ホテルの朝食を食べる。8:00過ぎには安城を後にする。
リオ五輪大会2日目。
rio.yahoo-net.jp

新幹線の中では、村上春樹シドニー!』をぱらぱらと読んでいく。16年前の記事。思えば遠くに来たもんだ。

さて、司馬遼太郎読書会のつづき。
thx.hateblo.jp

「読みにくい」「読みやすい」の議論は、「司馬史観」とはなにかに転じていき、そしてものごとの烏鷺を争わない司馬さんの姿勢を問う議論へとスライドしていきました。いわゆる「論争」を避けているスタイルが「日本的」であるというんですね、例えば福田恒存による乃木将軍と旅情攻略についての論駁とか。
近代史に疎いぼくとしては、それら指摘ひとつひとつになんら反論する術はないけれど、司馬さんは「小説家」であり彼は「小説」を書いたのであり「史実」を書いたわけではなかったんじゃないの、というくらいしか答えは見つけられませんでした。

論争したくないなら小説だけでやっていけばよかった、という意見もありますが、それは揚げ足取りに近い指摘だとぼくは思う。小説以外に歴史エッセイを手がけたのは、彼の希望というより、「国民作家」としての司馬さんに周囲が答えを求めたからでしょう。そもそも「国民作家」というレッテル貼りは周りが勝手にしたことなのではないのか。

文藝春秋は今年2016年が司馬遼太郎没後20年として特集も組んだけれど、相も変わらず司馬史観とか司馬さんに答えや思考の範を求めるのは、そろそろ止めたらどうか、という意見もでてきた。それに大きな異論はないし、もはやひとりの人間に何もかも解を求めるのはそろそろ止めた方がいいんじゃないかと思いますね。

司馬さんが亡くなったのは、1996年2月10日。windows95の発売は、前年の11月23日です。
また、司馬さんを頼りにしていた出版界の年間売り上げは1996年から凋落がはじまりました。

司馬さんの死というものがなにか時代の区切りを感じさせる気がした、七夕まつりの一日でした。