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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

面白い小説を見つけるために ~又吉直樹『夜を乗り越える』を読んで

10 武蔵小杉読書会 20 同時代ノート 30 自在眼鏡の本棚 34 エッセイ・コラム・散文

四万六千日、お暑うございます。
遅れ馳せながらに梅雨が明けましたが、その途端、そこにはぎらつく太陽がありました。休みの日は、子どもたちとせっせと外出することになるでしょう。子育ては体力勝負だと改めて思う季節です(^^;

さて。
先週、ぼくがファシリテータをしている読書会「こすぎナイトキャンパス」の84回目を開催しました。
www.kokuchpro.com

じつに数年ぶりに参加いただいた方もいて、うれしかったですね。こうして覚えてくれていて参加してもらうのは大変有難いことです。素直に、続けていてよかったなあと思う瞬間でもあります。しかも、積極的に発言していただいて場を盛り上げてくれました。

今回の課題テキストは、又吉直樹『夜を乗り越える』(小学館よしもと新書)。ちょうど芥川賞直木賞の銓衡会も終わったところでもあるので、タイミングもよろしいかと思いまして。
この本はつまりは本と自分との関係性のエッセイです。
自分の生いたちと本との係わりあいを訥々と語り、メインテーマである「なぜ(自分は)本を読むか」へと続いていきます。後半は、著者が親しんできた本の感想になりますが、ちょっと蛇足の感ありといったところ。

この本についてのぼくの印象は、ずいぶんと真面目に語っているなあというものです。ときどき憤っていたりして、熱いハートがあるんだと見直したりしました。

彼が憤っている箇所はいくつかあるんですが、総じていずれも世間一般の通念というか共通の「空気感」にたいして、でしょうか。「共感できる本しか認めない」「複雑なことを簡単にする」「すぐに答えをほしがる」・・・。
本は、いったいいつから「ツール」になったんだろう。

ぼくが肯いたひとつは、本を読むことは複数の視点が持てる、というところです。
イギリスのことわざに「他人の靴を履いてみろ」だったか、要するに「他者の立場に立って考えてみろ」という意味だと思いますが、そういうことわざを村上春樹が以前紹介していたのを思い出しました。

なぜ多様な視点や考え方を持つ必要があるのか。極論を言うと全人類が同じ考え方か持っていないとしたら、ひとつの失敗で全員が死ぬからです。「この鮮やかなキノコ美味しそうだから食べてみよう」と全員が思ってしまったら駄目なんです。全滅ですね。それは絶対に避けたい。だから、それぞれ独自の考え方があっていいのですが、多様であるということは自分とは違う他の意見も尊重するということです。
(中略)
複雑な状況がたくさんあって、自分自身が理不尽な立場に立たされることもあるでしょうし、相手の立場からものを考えることにょって問題が整理されることも多いと思います。

社会に出たらもうほとんど答えなんかありません。だから争いがあるのだし、物事は難解なことばかりです。そんな答えのないことにぶつかった時、それでも止まらず進んでいかなければならない時、どうするのか。
生きていくことは面倒くさい。答えがありません。本はそのことを教えてくれます。答えがないことを学ぶことができます。その時の主人公の迷いや葛藤、その末の判断を知ることができます。

世界は二者択一ではない、と著者は言います。
その上で、彼はその章をこう締めくくります。

小説家の西加奈子さんが、直木賞を受賞されたときにスピーチで、同時代の作家があらゆることを書いてくれるから自分は自分の信じることを書ける、という意味のことをおっしゃっていました。本当にそう思いました。だから批判も怖くないと。それは、自分がすべてを言おうとしていないということです。
自分は世界のひとつであってすべてではない。世界には無数の視点が存在している。その中から自分の答えを見つければいい。そもそも答えは簡単に出ない。本はそのことを教えてくれます。その先にきっとそれぞれの道があると思います。

ぼくは彼の考えに納得するのですが、ぼく自身はもう少しその先を考えています。
以前、こんな記事を書いていました。
thx.hateblo.jp

その話はいずれ日を改めて。

そして、ぼくは又吉さんがこのエッセイを通じてイチ押しだった、太宰治人間失格』を読みたいと思います。読書会でも、みなさん読んでみたいとおっしゃっていましたし。

それから、読書会では参加者のかたからいくつか質問も頂戴しています。
「純文学とエンタメの違い」「小説の技術は進化しているのか」・・・。そんなことも合わせて、これから語っていきたいと思います。