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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【芥川賞直木賞予想 #155-5】山崎ナオコーラ「美しい距離」を読んでみた

30 自在眼鏡の本棚 37 芥川賞直木賞ウォッチ 33 小説・創作

※ネタバレあり

星が動いている。惑星の軌道は歪む。太陽も位置をずらす。宇宙の膨張によって、恒星も少しずつ移動しているのだ。宇宙は広がっていき、星と星との間はいつも離れ続ける。すべてのものが動いている。
動きは面白い。動きに焦点を合わせると、「ある」という感じがぼんやりしてくる。猫も電車も、輪郭がぼやける。存在しているというより、動いているというふうに思えてくる。境目が周囲に溶けて、動きだけが浮かび上がる。

冒頭の星々の動きから、カメラはゆっくりと地球に降下して、ある夫婦へとフォーカスをあてる。
末期がんの妻を看病する、生命保険会社に勤める夫。彼は看病のため妻のためには仕事を辞めない。迷いつつも、それが彼の矜恃である。妻というより世間との「こうあるべき」という思い込みにたいする「距離」の取りかたが、矜恃のあらわれ。

舞台はほぼ病院である。登場人物たちにさしたる動きはない。ストーリィも起伏があるわけではない。ゆっくりと、ある一点に向かって下っていく感じ。一点とは、もちろん妻の死である。
230枚を読ませるのは、作者が手練れだということだろう。その力量にまずは感服する。

「距離」はどこにも存在する。夫と妻との間だけではなく、夫と義母、妻と彼女の店の仕入先やお得意さん。夫と会社の上司。主人公だけでなく、彼の知らないところで、いろんな関係が生成し持続し、やがて消滅するものもある。また最初から拒否することだってある。
そしてそれらはいつだって揺らいでいる。揺らぐというのは、太くなったり長くなったりすることだ。なぜなら人間に心があるから。そして心は季候に環境に懐具合に、たやすく影響されてしまう。
主人公たちは、そういうものだとどこかで理解していて、お互いの「距離」を受けとめている。受けとめることが歳を重ねることのかもしれない。

ゆっくりとページを捲りながら、読み手はふいに妻の死に立ち会うことになる。でも主人公は義母を妻の死に目にあわせることができなかった。
それにたいして義母は「本当にありがとうございました。娘は幸せだったと思います」と伝える。

小説はそこで終わらない。妻の死から葬儀を終えて1ヶ月が経ち、1年経って墓を建てる。
時間という「距離」が主人公と妻とのあいだに生まれていくが、主人公はそれを悲しもうとはしない。

出会ってから急速に近づいて、敬語を使わなくなり、ざっくばらんな言葉で会話し始めたとき、妻との間が縮まったように感じられて嬉しかった。でも、関係が遠くなるのも乙なものだ。
淡いのも濃いのも近いのも遠いのも、すべての関係が光っている。とおくても、関係さえあればいい。これからは離れていくことを喜ぼう。
宇宙は膨張を続けている。エントロピーは常に増大している。だから、人と人との距離はいつも離れ続ける。離れよう離れようとする動きが、明るい線を描いていく。

美しい距離

美しい距離