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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【42歳からの子育て】深海での生活

21 42歳からの子育て

前回まで。
thx.hateblo.jp

母子ともに退院して、いよいよ親子3人でわが家での生活がはじまった。
お産という一大イベントを終えた女性は「産褥期」という期間に入る。この産褥期の過ごし方次第で、ママの身体的、精神的な状態は大きく変わってくると言われているくらい、じつは大事な時期。
十月十日を経て、お産という難事を成し遂げ(そういえば、「労働」という意味の英語laborには、お産という意味もあるんでしたよね)、お母さんの身体はボロボロになっている。妊娠前の元の状態になるまでには時間がかかるもので、この「出産してから体が完全に回復するまで」の期間が産褥期と呼ばれているんですね。

当然、M氏も身体がボロボロで、ブログを読むと(てか、ブログは書いていたわけだ)、しんどいことが伝わってくる。

12/17~12/18
疲れすぎて意識がモーローとしてきた。
とにかく子どもが寝たときには自分も寝る、を心がけたけど、それでも回復しない。

旦那さんが夜中のいちごの面倒を見てくれたので、とにかく寝るんだけど、ぜんぜんよくならない。
起きたら悪露が大量に出ていた!

病院で、
「悪露が入院中より多くなったら無理してるというサイン」
と言われていたのを思い出す。
帝王切開の傷口も痛んできた。

とにかくいちごが寝たら寝る、をやり続けるしかない。
頭が重く、雑誌やテレビを見る気にもならない。

丸2日、とにかく寝ていたら、ようやく回復してきた。
その間は旦那さんに頼りっぱなしでした。

我が家は旦那さんも育児休業中なので
夜通しいちごをあやしたりもできるからいいけど、
普通の家庭は旦那さんは仕事に行ってるから
本当に大変だなあ、と思いました。

まあ、結論としては
「産褥期なめんなよ!(←自分)」
です。

ぼくは育児休暇をとっていたので、M氏が動けないときには、もちろん娘の世話もする。それだけでなく、家事その他だいたいをやった、はず。
はず、というのは、ぼくはうつ状態だったので、ほとんど覚えていないのである。
夜泣きしたらあやしたり、ミルクを与えたりしたはずなのだが、記憶から欠落している。

ぼく自身もしんどかった。身体を動かすことがとんでもなく辛かった。テレビも観なかったし、本も読まなかったと思う。なんだか深海を泳いでいるように、無感覚で生活していた。

そんななかでもいまでも覚えているのは、なかなか寝付くまでが時間がかかる娘で、真夜中の丑三つ時に暗いリビングで、ぼくはバランスボールにまたがって、ずっとジャンプしていたことだ。
背中にスイッチがある女の子で、寝かせるととたんに泣きはじめるのである。
ひどいときには2時間くらいずっとジャンプしていた。テレビも観ずに。そのまま夜明けを迎えたことも何度もある。
もちろん、それはこの時期よりもしばらく後の話だけれど。

このクセというか性格というか父親苛めは、どこまでつづいたんだったけな。
そんなことも、記憶に残っていない。

深海での生活は、長くつづいた。