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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【カラマーゾフの習慣 #4】カラマーゾフ一家の問題の根っこ

24 日記(カラマーゾフの習慣) 30 自在眼鏡の本棚 36 古典

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前回まで。
thx.hateblo.jp

今回は、p271まで読みました。
第2編「場違いな会合」がようやく終わり、第3編「女好きな男ども」に移ります。

まずは第2編の後半。
修道院でカラマーゾフの父子と身内が、お互いを罵り合いながら修道院長との昼食会に招かれます。
身内を罵り、教会にケンカをふっかけながらも、みんなノコノコとでかけるのです。

それを見ていたミウーソフ*1はこう呟きます。

《ああやって、まるで何事もなかったみたいな顔で食事会に向かうんだから!》彼はふと思った。《あれが、鉄面皮とカラマーゾフ的良心、ってやつか》

カラマーゾフ的良心」ってのはいったいどういう意味なんでしょう。

さて、いったん場面は転換して、三男アリョーシャとゾシマ長老との会話シーンに戻ります。
前回、ぼくはこんなことを書きました。

ところで、ゾシマ長老が突然ドミートリーの前にひざまずいて礼拝するシーンがありますが、これはどういう意味なのか。宗教的な意味があるのかどうなのか。家族のみっともない罵り合いのなかで、ふと気になりました。

じつはアリョーシャ自身がそのことをゾシマ長老に尋ねようとしますが、彼はそれを口にできませんでした。もし言うべきものなら、長老自らが説明するだろうと。それをしないのはその必要がないんだ、でもあのお辞儀には何か神秘的で恐ろしい意味が込められているんだ、とアリョーシャは思っていたのです。
そして、ゾシマ長老のもとを去り、昼食会に向かうのです。

でも、読者としてはちょっと肩透かしを喰らった感じですよね。思わせぶりにして、けっきょく意味を明かさないんですから。
そんな読者の心情を知ってかどうか、そのことをアリョーシャに問いただしたのが、彼と一緒に学んでいる修道僧ラキーチン。

修道院までの道すがら、アリョーシャとラキーチンが会話しますが、この下りがやたらと面白いんですね。ラキーチンはいい「まとめ役」になっている。
まず、そもそもあのお辞儀はハナから「思わせぶり」そのもので意味はなく、あとで何事かイベントが発生したときに「ほら、あのとき予知したでしょ」というアリバイづくりにすぎないと、修道僧らしくない物言いをします。
そこからカラマーゾフ一家に起こりうる事件を推測していきますが、そもそもカラマーゾフ一家がどんな性格でどれほどとんでもない輩の集まりか、そしてこれまでどんなことをしてきたかというのを、アリョーシャと答える体で、読者に再度説明してくれているのです。

要するに、きみたちカラマーゾフ一家の問題というのは、女好き、金儲け、神がかり、この三つに根っこがあるってわけさ!

ラキーチンという人物はどうも評判がよくないらしいですが、ズバリ本質を突いてくる。読者にとってはいい狂言回しです。

そんな彼の言葉を受けて、第3編「女好きな男ども」に移るんですから、なかなかにエンタメな「カラマーゾフの兄弟」です。第3編の話はまた次回に。
今川焼に食いつきながら、ページをめくる手が止まりません。

*1:長男ドミートリーの母の従兄。彼の後見人だった。裕福な地主で名門貴族の出。