読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【42歳からの子育て】名前について、ぼくが思うこと

21 42歳からの子育て

f:id:zocalo:20160208223455j:plain

前回まで。
thx.hateblo.jp

子どもが産まれるといろんな悩みが一気に目の前にあらわれますが、意外に手間取るというか厄介もののひとつが、名前です。
「名づけ」は夫婦だけでなく、両家の思惑といいますが、その人たちの考え方がはっきりとでてくるものなので、調整が大変です(すでに日本人として、産まれた時点で「妥協」という洗礼を浴びている)。
わが家は、幸いにして夫婦だけで決定しました。余人のはいるスキマはつくらせませんでした。ネーミングについて、夫婦ふたり名前の共通項から、ある厳格なルールを課したのです(笑)。

名前のことを思うとき、ぼくにはいつもアタマを過ぎる方がいます。
その方は、NHKアナウンサーの森花子さん。ちなみに、テレ朝の森葉子アナウンサーは妹だそうで。さらにちなみに、いちばん下の妹さん(三女)は、茎子さん!
・・・無理は禁物です(苦笑)。
www2.nhk.or.jp

人の名前を出汁に使うのは大変失礼だと承知で持ち出しているのですが、「森花子」という今どきにしてはシンプルな名前の醸しだす清々しさに、いつも惚れ惚れしますね。
なにかにつけて話題になるキラキラネームは、「森花子」さんの対極にあります。

こんなアンケートもありました。
sankei.jp.msn.com

ぼくも他人の名前にいちいち口を挟むつもりはないですが、自分の名前って、みんなにいち早く覚えてもらいたいし、たくさんたくさん呼んでもらいたいものじゃないかと、ぼくは思っています。なので息子には、他人から「呼び捨てにしやすい」リズムを、狙ってつけたつもりです。

文字を見てとっさに読みにくい名前というのは、他人にたいして扉を開いていないように感じるときがあります。少なくとも、呼びやすい環境を自らつくってはいない。奇抜さとか可愛らしさとかの表層からは、どうも他人を寄せ付けない寂しさがにじみでてくる。
その子の名前を呼んであげたいと思っているこちらの心を、その子の名前自身が拒絶している。名前を呼ぶまでに、何ステップか手続きを踏まなきゃいけない名前というのは、どこか寂しい気持がしてしまうのは、ぼくだけでしょうか。

と同時に、親にとって子どもが「特別な存在であってほしい」という願いを端的に実現できるのが名前というものでもあります。
とても、よく解ります。
しかも、その機会はその子にとってたった一回きり。期限は(たしか)2週間以内のはず。改名は民法上ほとんど認められていないはず。

でも、子どもは親の心なんぞ知りません。その背中を見て育つのです。
いつか子どもは親元から自立して、他人と交わる時が来ます。その子どもに、他人が呼びやすい名前を付けてあげて、ドアの向こうに送り出してやることができるのも、やっぱりその子の親だからこそだと、ぼくは思ってしまうのです。