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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

#218 立春大吉に読む ~松下幸之助『道をひらく』

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松下幸之助『道をひらく』を手に入れて読んでみた。
1968年初版である。まあ、わたくしの生まれた年であります。爾来、版を重ねること200刷以上とか。日本で一番読まれている本の第二位だそうです(ちなみに、一位は黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』)。

前回、「経営者心得帖」を読みました。
thx.hateblo.jp

それを知った方から、まずこの『道をひらく』を手にとって読みなさいとアドバイスをもらったのです。ちなみに、この本には続編があるんですが、それが近所のコンビニ「デイリーヤマザキ」に売っていたので、ちょっとびっくりしました。ひょっとして、そこのオーナーさんの趣味でしょうか。

もうひとつびっくりしたのは、この本、意外に若い人にも読まれているんですね。
率爾ながら、例えばこの人。内容は優等生的ですけど。他にもブログなどで感想を書かれている投稿が多かったです。
shuchi.php.co.jp

見開き2ページでひとつの章が終わる。江湖漫筆とでもいったらいいか、折に触れてのエッセイが121編収められている。
章立ては、
「運命を切りひらくために」「日々を新鮮な心で迎えるために」「ともによりよく生きるために」「みずから決断を下すときに」「困難にぶつかったときに」「自信を失ったときに」「仕事をより向上させるために」「事業をよりよく伸ばすために」「自主独立の新年をもつために」「生きがいある人生のために」「国の道をひらくために」。

それにしても、若い人って、どんな風にこの本を捉えたんだろう。
ぼくが彼らくらいの、つまりは20代だったら、決してこの本は手にすらとらなかっただろうし、たとえ読んでもアタマに入っては来なかったでしょうね。
前述の投稿でも書きましたが、それは幸之助さんの言葉が、とてもベーシックだからです。ベーシックすぎて、つまりは当たり前すぎて、つまらないと感じるだろうから。

まずは素直であれ、そして謙虚になって、しかし熱意と感謝は忘れずに倦まず弛まず自分の道を進め。そうそう、朗らかに、を忘れずに。
この言葉がストンと胃の腑に落ちるようになるには、受け取り側がそういう「水心」がなければいけないし、それなりの「経験」も求められる。

ベーシックな言葉というのは、「大きな器」みたいなもんなんですよね。風呂敷といってもいい。
器が広い分、使う人の「思い」「経験」「思考」がどんどん入れていくことができる。使う人はその言葉から、いろんなことを引き出すことができるし、その言葉を通して思考を広げていくことができる。
でも、経験がない人や聞く耳を持たない人は、その器に入れるモノがないから単なる記号としか捉えられない。

若いぼくに、おそらくそうだったんじゃないかと思う。
そんな言葉より、もっともっと刺激的なことがまわりにいっぱいあったもの。

このエッセイは、松下幸之助という人の知見の上質な上澄みを掬いとったものですよね。淡泊だし無色でもある。クセも灰汁もない。その上澄みをどう自分に取りこむか。そのまま飲むか、何かの料理に使ってみるか。人に手渡すか。

だが、ことばは所詮、ことばでしかない。
しかもここに書かれているのは、気がつくと忘れてしまうくらいの無色さをもっている。
ベーシック、だから厄介。

そうと認識して、ページをめくる。
めくった先で、素直と謙虚と熱意と朗らかさが込められたことばの数々に触れる。

いつも懐かしく、けれどいつも新鮮だとだんだんと感じられるようになったら、いいね。
厄介のひとつを取り払ったことになるんだもの。