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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

水、為人、水五訓、そして湧水。

22 ナリワイ・ノート

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今日は、冷たい雨ですね。
雪にならずに良かった・・・というのは、オトナの理窟で、子どもたちはがっかりのようです。
かく言うぼくも、「雪が積もっていたら、子どもたちを遊ばせることができるのになあ」と思っていたのでした。


先日、投稿を読んでいただいた方から、「無理筋じゃないこと」をもっと違う言い方にしたら(換言したら)どんな言葉になりますか? というアドバイスを頂戴しました。

「無理筋」は将棋用語なので、たとえば「定跡」という言葉がすぐに思い浮かびました。「王道」といってもいいかもしれません。
この「定跡」の意味は「最善とされる指し手」ということのようですが、じつはなんとなくしっくりきていないのです。

たしかに「最善の手」は求めなければならないのですが、この意味ですと、なんとなく「手段」とか「テクニック」に重きを置いている感じがする。むしろ、ぼくが「無理筋」云々と言っているのは、それ以前の、その人の性に合った発想とか行動とかのことを指しているように思えるのです。
思えるのです、って他人事みたいですけれど。

その人の「為人(ひととなり)を裏切らない」発想と行動。

ぼくの好きな言葉に「水到りて魚行く(水到魚行)」があります。
これは「水が満ちてくれば魚は自然に泳ぎだす」という意味で、物事が動くときには、必ず相応な理由があるものであり、相応な理由とは万全の準備と言い換えることもできます。
この「水」を「為人」と置換してみてもいいかもしれません。まず最初にその人の「性」があって、それが最初にあって自分という人間が動いていく。逆に言えば「性」に反した「無理筋」を通せば、自分は行き詰まってしまう。

なんか、当たり前すぎることを言っている気がする。
このあたり、もっと考えてみます。


「水」で思い出しましたが、さいきん読んだ本で「水五訓」というものを知りました。
京都の貴船神社にあるとか。
戦国時代、豊臣秀吉の知恵袋といわれた黒田官兵衛(黒田如水)の教えといわれています(が、中国文学者の高島俊男さんが否定しています。如水の時代に「蒸気」という用語はないということで)。

一.自ら活動して他を動かしむるは水なり
二.常に己の進路を求めて止まざるは水なり
三.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
四.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
五.洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)
たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり

水の特性を人生訓としてあてているわけですが、ぼくが印象に残ったのは、第五訓目。

水は温度の変化、器の形によって次々と自らの形を変化させていきます。ですが、その本質は変化することがありません。
ゆえに、われわれ人間も変化に対応するのに常に柔軟でなければいけません。与えられた環境の中でいかにして最大の努力を行えるかが大切です---という教えが導かれるのもうなずけますが、ぼくはそれにはあまり反応しません。へえそんなものかという認識です。

むしろ、形は変えるがその本質は変わらない、という点に着目します。
水と同じように、人の「性」は変わらない(と同時に相反しますが、人は変わりやすいものだとも思います。たとえば懐中に10万円忍ばせているときと、1000円しかないときでは、人の性格は明らかに変わる、というふうに)。

自分のなかの「水」に従って、進んでいくのが「無理筋」ではないのではないかと。
その「水」を探して、人は「井戸掘り」をしたがりますが、井戸を掘って「水」はでてくるのではなく、「湧き水」となって現れるのではないか。それは本人には止めようもなく。

冷たい雨を横目にして、ルイボス茶で身体を温めながら、そんなことがアタマを過ぎっています。