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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

好きなことが見つからないなら、「無理筋」じゃないことを

22 ナリワイ・ノート

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「無理筋」という言葉があります。
将棋(囲碁でも使うかしら)の言葉ですが、要するに文字通り、無理な手筋のことです。強引な手筋(作戦)をとることなので、上級者同士の対局では無理筋で通そうとすると負けるようです。

ぼくがこれから使う「無理筋」は意味用法が違と思いますが、さいきん、ぼんやりとSNSを眺めていると、この「無理筋」という言葉が浮かんできます。

ぼくが意味する「無理筋」は、どうもその人の「性に合っていない」「その人の人となりに照らして、らしくない」という意味です。
その方が一生懸命やっていることは解るんですが、なんかその人らしくないことをしてるなあとか、ごり押ししていないかなあ、ということを感じることが多いのです。
だから、説明の言葉数がやたらと多くなるし、文章が借り物の表現に見えてくる。

それを意識しはじめたのは、先日ご紹介した、バルミューダという、主に家電商品をつくっている会社の社長・寺尾玄さんと糸井重里さんの対談を読んでからでした。
www.1101.com

寺尾さんの、一見突拍子もない思いつきと行動は、しかし彼の中ではとても筋が通っているように、ぼくには思えました。
彼のキャラクタに沿うような発想と行動をとられている。
そこには他者は、おそらくいないと思う。
そこには、無理がない。無理してないよね、って気がする。
だから、彼の話を聞いた人は笑いますが、その笑いは、嗤いではなくエールと共感の笑いだと、ぼくには感じられるのです。

発想とか行動とか、自分が自分だけで納得できるものが、おそらくその人の性にあっていて、無理筋じゃないんだと思うんですが、なかなか自分で自分を解る人というのはいないですよねえ。どうでしょうか。

昨夜は、こすぎナイトキャンパスという「読書交流会」を開催しましたが、もう5年ほどつづけていますけれど、おそらくそれはぼくにとって「無理筋」じゃないからだろうと、勝手に考えています。
もちろん、周囲の方々のサポートがありますしとても感謝していますが、そのことがあったとしても、ぼくという飽きっぽい人間が、つづけてやってられるはずはないんです。
お陰様で、ぼくは、この「読書交流会」には、以前にも増して手応えを感じることが多くなってきました。これなら、いろんなところに行っても展開できるかなと、自信のようなものがでてきています。
とても有難いことです。

よく、好きなことを仕事にしたいけど、好きなことが見つからないという方がいますが、そういう積極的なことが見つからなければ、無理筋じゃないことを探してみるというのもありではないかと。そのときは、周りの人に「積極的に」手伝っていただいてもいいのかもしれません。