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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

#217 村上一郎『岩波茂雄と出版文化 近代日本の教養主義』

30 自在眼鏡の本棚 34 エッセイ・コラム・散文

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村上一郎岩波茂雄と出版文化 近代日本の教養主義』を読んだ。
先日たまたま橋川文三著作集をのぞいていたら、村上一郎の『岩波茂雄』という著作のレビューが載っていたが、目次だけチラ見してふうんと通り過ぎたその日、本屋でこの本を見つけたので、驚いた。

村上一郎を、ぼくは同世代として知らない。ただ名前だけは知っていて、文芸評論家で小説も書いている、くらいとしか認識していなかった(『北一輝論』はぜひ読んでみたい)。
ネットで簡単にググってみると、三島由紀夫吉本隆明にも一目置かれていた。その最期は、三島に殉ずるようにして、自宅で日本刀により頸動脈を切って自裁した。1975年のことで、享年54。日本浪漫派に共感し、二・二六事件を肯定したという。
まあ右翼といっていいんだろうが、その村上が岩波茂雄について書いていたとは。

岩波書店について、ぼくが読んでいるのは山本夏彦『私の岩波物語』(文春文庫*1)くらいだ(そういえば、「物語 岩波書店百年史」が刊行されていたっけ)。ただ、山本のは小林勇の話を中心としている。

私の岩波物語 (文春文庫)

私の岩波物語 (文春文庫)

この本は、岩波書店の創業者である、岩波茂雄の評伝『岩波茂雄 成らざりしカルテと若干の付箋』と、京大名誉教授・竹内洋の解説からなっている。
もともと村上の『岩波茂雄』は1960年ごろに、ある出版社が企画した出版社史のために書いたものだったが(100枚程度の分量)、その版元が倒産してお蔵入りしてしまった(それから5年ほどして単行本化)。

なぜ、村上が岩波茂雄について書いたのかは、冒頭20ページに及ぶ「イントロ」でうまく理解できるだろう。信州人である岩波茂雄はいかにして出版社を起こし*2、出版界に一大勢力を築くまでになっていったのかとか、なにを利用しなにを切り捨てたのかとか、「岩波文化」と呼ばれる「文化産業」の構築とその裏に潜む打算とが、村上の情念したたる(といっていい)文体によって、見事に裁断されていく。

村上は、本書を書くに当たって、

正社員ではないが、岩波映画社にもつとめたことがあるが、岩波書店の匂いを嗅いだ経験もある

という。

その上で、

ぼくは岩波書店に多くの記憶をもつ。そのおかげをこうむって生きのびえた時期をももっていると同時に、半生を通じて、岩波書店にいやな思いをさせられたときをも、記憶している。

と、第一章の註で自分の姿勢を明らかにしている。このつかず離れず、好悪愛憎の両義的姿勢が、「岩波書店なるもの」の正体を冷徹に暴いて見せている。

ぼくがいちばん読みごたえがあったのは、第三章「岩波は何を避けたか?」だった。
それは、<わけのわからないデモーニッシュなもの>で、要するに「文学」であるという。

岩波が避けたのは、、自然主義の中にも、非自然主義の中にも、とぐろをまいていた何主義かわからぬ、えたいの知れぬものではなかったろうか。たとえば葛西善蔵牧野信一あたりを、岩波はまず絶対にとるまいし、もしその人が日本にいたらジョイスもとるまい、サルトルもとるまい。「教育」「教養」なぞというおもしろくもないものと、徹底してたたかいつづける文学本来のものは避けて通ったのではなかったろうか。

さらには、「岩波文化」と「講談社文化」の比較について。
インテリと大衆の二項対立図式をあらわした、戦前のこの言葉は、じつは泥臭い刻苦勉励主義という点では根本は同じと喝破するのには、目からウロコが落ちた(呉智英さんだったら、村上一郎を、あるいはこの本をどう評価しているのだろうと気になった)。
後半の竹内の解説は、一見乱暴にも見える村上の論の焦点をうまく掬いあげて補っている。

この一編を読んで、急に筑摩書房のことが気になりだした。

*1:もう絶版ですね。

*2:そういえば、筑摩書房の古田晁も長野の出身だった。