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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

「スター・ウォーズ」を観るといつも思い出す、あの言葉

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※ややネタバレあります

本日、有楽町で「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を観ました。
劇場で観るのは、いったいどのくらい振りなのか。
新キャラよりも、ハン・ソロレイア姫とかチューバッカとかでてくると、やっぱり心沸き立ちますね。ああ、戻ってきてくれたのね、と。
もちろん、みなさん、年相応でしたが(ハン・ソロが動けてなかったなあ)。

今回は、ハン・ソロとレイア、そしてその息子の話を基軸にして、新しいキャラクタをうまく離陸させていました。
卒ないつくりだったと思います。新主人公のレイ(女性)と敵キャラとの、ライトセーバーの殺陣は、レイ自身がまだ使い手になっていないので、いまひとつでしたが、これからの成長とともに洗練されていくのでしょう。
殺陣ばかりでなく、ストーリィ展開も含めて、続編を楽しみにしたいですね。

ところで、話は変わりますが。
作家の村上春樹の奥さん、陽子さんは、映画を観終わると必ずといっていいくらい、「この映画の教訓はねえ・・・」と旦那さんに語るそうです。それが有り難迷惑だと春樹さんは苦笑い、というエッセイをどこかで読んだことがあります。

ぼくも映画から教訓をいちいち取り出すような真面目な正確ではないのですが、この「スター・ウォーズ」のエピソード群を観るたびに、アタマを過ぎる言葉があります。

それは、

盾の両面を見よ

という警句。

物事には表と裏、光の部分と影の部分とがあり、その両方を見て判断しなければならない、ということなんですが、いわずと知れた、フォースについてのことです。フォースにはもともと、善なる力=光(ライトサイド)と、邪悪なる力=闇(ダークサイド)の力があり、使う者によってそのいずれかが発現するらしいのです。
フォースだからといって、直ちに善なるものだと軽軽に信じてはいけないわけですね。

そして、フォースを巡って、ライトサイドに生き延びる者もダークサイドに転落する者もいる。
ライトサイドに依っているからといって安心はできません。いつ何時、自分がダークサイドに転落するか自覚できないのです。怒り、嫉妬、欲、悲しみ、暴力・・・至る処にダークサイドは口を広げて待っています。

そういった因果が、親子代々にわたっていきます。これが「スター・ウォーズ」サーガなのですが、面白いのは、悪の子どもだからといって、悪を引き継ぐわけではなく、その逆もまたしかり、というところです。いったいこの因果はいつ、どのようなかたちで収束するのでしょうか。
それが、今回のエピソードⅦからはじまる新三部作なのではと思ったりします。

善と悪との入れ違い、というか、善も悪もそれぞれはそれぞれでくっきりと分けられているんじゃなくて、常に隣り合わせであり、そのあいだにはクレーゾーンがあって、お互いがお互いを浸食している部分というのは、あるんだろうと思います。もっというと、お互いがお互いを必要としている。
ぼくたちは、いつもその上を行ったり来たりしているだけなんじゃないでしょうか。
いつ何時、ダークサイドにいるかもしれないし、善の部分に寄りそっているかもしんない。
物事はいつだって、表と裏でできています。
それを感じて、自ら判断し選択していかなくちゃならない。
それが、「スター・ウォーズ」を観て思うことのひとつです。

ところでところで。
こういう因果話、なにも「スター・ウォーズ」だけのものではありません。
日本にもちゃあんとあったんですよ、親子三代にわたる壮大な因果応報のエンターテインメントが。

それは、白井喬二『富士に立つ影』(ちくま文庫)という時代小説です。全10巻。あらすじはまたの機会にとさせていただいて、作りようによっては、これは充分に「スター・ウォーズ」の向こうを張れると思いますが、誰が映像化してくんないかしら。

富士に立つ影〈1〉裾野篇 (ちくま文庫)

富士に立つ影〈1〉裾野篇 (ちくま文庫)