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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

「区切り」がなくなっていく時代に ~ 2016新年御目出度うございます

20 同時代ノート

今週のお題「年末年始の風景」
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新年明けまして、御目出度うございます。
今年も、積ん読王のブログを、どうぞよろしくお願い申し上げます。

今年の元日は、やや緩めにスタートしました。
緩めというのは、さいきんのぼくの生活リズムのなかではいちばんゆっくりと寝ていたということです。

思えば去年の年末年始は、大風邪にあたったのでした。帰省してそのまま高熱を出して寝込み、NHK紅白もなにも観ることなく、まともにおせちも口にすることなく、コンコンと眠りつづけ、正月2日目にようやく起き上がった、という体たらく。なんともひどいスタートでした。

それに比べると、今年は休みの期間も短いため帰省することなく、のんびりと自宅で家族と一緒に過ごしています。やや風邪気味なので、できるときには半身浴をしています。短時間でずいぶんと汗を掻くようになってきました。それにともなって、身体のコリもほぐれてきたような気がします。

子どもたちには、大つごもりの雰囲気を感じさせたくて、わざと混みあう「暮れの買い物」に付き合わせたりしていましたが、まだピンときていないようでした。
でも、それでもいいのです。
なにかが、いつもと違うという雰囲気さえ感じ取ってくれれば。
そのうち「ハレの日」と「ケの日」との違いが解ってくるでしょうし、それこそが四季という「4つの区切り」を感じながら生きていく日本人の、日本列島に暮らす日本人たる醍醐味だと解ってくれると思っています。

糸井重里さんがおっしゃっていましたが、どんどん「区切り」がなくなっていく時代に来ています。一年なんてあっという間というか、物事のスパンがもう一年とかそういうスパンに収まりきらない時代なんだなと思いつつ、反面でとんでもないスピードを求められている。

もともと自然界は連続してあるものであり、そこに時間の概念を持ち込んで(考え出して)「区切り」を設定したのは、まあホモ・サピエンスの勝手です。
でも、それは連綿と続く「知恵」なのですが、今日日その境界が失われつつあるというのは、これまたホモ・サピエンスのステージが変わってきている(良くも悪くも)ということかもしれない、と妄想したりしています。

でもそういう時代だからこそ、「区切り」を大切にするというのは貴重なことなんだと思います。
「区切り」があることで、日々救われていることも多い。喜びも悲しみもある。意識する/しない、に関わらずです。

ここ数ヶ月のあいだに、知人の何人かの訃報を聞きました。
年年その知らせを聞く数が多くなる気がしていますが、それらも「死」という「区切り」です。そして、それは誰にも設定されている「区切り」なのです。

ぼくもあと5年で起業するという「区切り」を設定していますが、その意識が薄れてきてしまったここ数ヶ月を、新年という「区切り」を意識して(うまく活用して)改めて、そこに傾注しようと思い直しました。

夕方、家族で近所の神社に初詣にでかけてきました。
空はずいぶんと澄み渡っていました。
雲一つありません。

いい元日を迎えられたと感謝して、本殿の向こうに手を合わせました。

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