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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【#210】クリスマスを彩る小説 #2 ~ O・ヘンリー「賢者の贈り物」

30 自在眼鏡の本棚 33 小説・創作

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クリスマスプレゼント第2弾。も一度、O・ヘンリーの短編から。
「賢者の贈り物」(小川高義訳、新潮文庫)読了。

クリスマスといえば、いつも思い出す短編はカポーティでもディケンズでもなく、O・ヘンリーの「賢者の贈り物」(1906年作)である。1906年といえば、日本では日露戦争が終わった翌年だ。
普通っぽいですか?

ぼくが覚えている「一行」は、

人間は、ひいひい泣いて、すすり泣いて、いくらか笑って生きるのだと思えてくる。その中では、すすり泣きの割合が大きい。

 
もうすぐクリスマスだというのに、デラとジムの手元にはわずかな貯えしかない。しかし、年に一度のクリスマスだ。ふたりはそれぞれ相手のプレゼントを賄う算段をする。

妻のデラは、夫のジムが代々受け継いで大切にしている、金の懐中時計を吊るすプラチナの鎖を買うために、自慢の髪を切って売ってしまう。
いっぽう、ジムはデラが欲しがっていた鼈甲の櫛を買うために、自慢の金時計を質に入れてしまった。

新約聖書で、キリスト誕生を祝いに、東方の三博士が贈り物を持ってきたエピソードを下敷きにしたというこの物語の結末で、作者は若い夫婦の、一見すると愚かで哀しい行き違いについて、こう讃える。

しかし最後に、今の世の賢い方々に言っておく。およそ贈りものをする人間の中で、この二人こそが賢かった。贈りものを取り交わすなら、こうする者が賢いのだ。どこの土地でも、こういう者が賢い。これをもって賢者という。

小説の結構としては、

「デラ、どっちのプレゼントも、当分しまっておこうよ。すぐ使うなんて、もったいない。あの時計は売っちゃった。櫛を買いたかったからね。さてと、肉を焼いてもらおうかな」

というジムのセリフで終わってもよかったのではと個人的には感じる。そこからさきの、作者の”解説”は、蛇足に感じられるかもしれない。ふたりが陥ったシチュエーションは、ジムのこの言葉ですでに救われているのだから。

とはいえ、クリスマスという、家族や恋人たちがお互いを向き合う大切な時間に、作者の一言は、行き違いから生じたビターな結末の脇を締めてくれている。
現実の厳しさ(reality bites)だけを突きつけるだけが、小説の役目ではないのである。

賢者の贈りもの: O・ヘンリー傑作選I (新潮文庫)

賢者の贈りもの: O・ヘンリー傑作選I (新潮文庫)