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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

また「夜明けのコーヒー」が飲みたくなりました ~さよなら、野坂昭如さん

20 同時代ノート 30 自在眼鏡の本棚 33 小説・創作

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そんなことはないと解っているはずなのに、この人放っておいたらずっと生きてるんじゃないかと思わせる御仁がいる。
野坂昭如は、ぼくにとってそんなひとりだった。

その野坂さんが、逝ってしまった。

野坂昭如というと、ここんところは『火垂るの墓』の・・・が枕詞だが、それはもうスタジオジブリの影響でしかない。暴論だが、『火垂るの墓』なんて読んだこともないよ、というのが、少なくとも40代後半の人間にとっては共通認識ではないかしら。

ぼくにとっての野坂昭如は、まずこのCMの人だった(ちなみにナレーションは、あの小林清志だ)。
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ぼくが好きな歌は「マリリン・モンロー・ノーリターン」ではなく、「バージンブルース」。
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聴いてみると、なんてエンタテイナーなんだと感じる。

そこからの記憶はなくて、突然野坂さんがでてくるのは「週刊文春」のエッセイ、「もういくつねると」だった。池澤夏樹のエッセイ(「むくどり通信」)だったか、(その当時の、というのはつまり1980年代だと思うけど)日本の「三大エッセイ」は、司馬遼太郎の「街道をゆく」(1971年1月~1996年3月)と、野坂昭如の「もういくつねると」、そしてもうひとつが忘れた(笑)。

小説でいえば、『行き暮れて雪』に印象があるけれど、やはりここは「エロ事師」か短編「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」だろうか。
「骨餓身峠死人葛」の冒頭を見てみる。

入海からながめれば、沈降海岸特有の複雑に入りくんだ海岸線で、針葉樹におおわれた岸辺、思いがけぬところに溺れ谷の、陸地深く食いこみ、その先は段々畠となって反りかえる。南に面した地方のそれとことなり、玄海の潮風まともな受けるこのあたりでは、耕して天空にいたるといった旅人の感傷すら許さぬ気配、人間の孜々たる営みを自然のあざわらうようで、それは、いずれもせんたんちいさいながら激しい瀬をもつ岬の、尾根となって谷あいをかこみつつ、背後の、せいぜい標高四百メートルに満たぬ丘陵にのびる、その高さに似合わぬ険しい山容のせいであろう。

助詞を省き、延々と「、」でつないで「。」がなく、改行も少ない。本人も「江戸期の戯文体に似ている」といっていた。ストーリィ自体も凄まじい話で、これはぜひ一読をすすめる。

骨餓身峠死人葛―野坂昭如ルネサンス〈6〉 (岩波現代文庫)

骨餓身峠死人葛―野坂昭如ルネサンス〈6〉 (岩波現代文庫)

話がとっちらかった。
それはぼくの気持の状態そのままだ。いまはまとめる気もない。
この「焼き後闇市派」が好きだった。若い時の写真を見ても、格好良かった。声もいい。

娘がよく歌っていた。聴いていたぼくは、「いつの時代の歌を歌ってんだよ」とひとり笑ったものだ。
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そらにさよなら おほしさま
まどにおひさま てらすころ
おもちゃはかえる おもちゃばこ
そしてねむるよ チャチャチャ

どうぞ、安らかに。