読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

12月のはじめに

20 同時代ノート

f:id:zocalo:20151201062054j:plain

いよいよ、12月。

どなたに聞いても、いやー1年て早いよねえ、と返ってきます。
皮膚感覚としては、ぼくもまったく同感です。

きょう日、ぼくらに与えられている時間は、どんどん短くなっている・・・んなわけないですが、
「スピード感が大事」とか、
「迅速に」とか、
少しまえまでは「可及的速やかに」なんて役人言葉もありましたが(いまでも使われてるかしら)、
そんな言葉に象徴されるように、時間に追いまくられている身としては、1年というのは思いのほか早く過ぎていきますよね。

ちなみに、18世紀に生きていた人が一生のうちに得られる情報量は、現在の新聞朝刊の一週間分より少ないくらいだということです。
そのひとたちが生きた時間と、地球上の情報量が「ゼタバイトの時代」に生きるぼくらとは、時間じたいにたいする感じ方、皮膚感覚自体がまったく異なっているんじゃないでしょうか。

ぼくは、子どもと過ごしていると、より1年の早さを一層感じることが多くなりました。
休日も、「秋のつるべ落とし」と言うまでもなく、気がつけば日が暮れて、また月曜日がやってくる。子どもを保育園に送っていき、夕刻に迎えに行く。そしてまた週末がやってくる。
平日はその繰り返しです。
こと、ぼくは子どもたちの生活リズムを崩したくないこともあり、繰り返し感は一層濃くなります。

それでも、仕事をこなしつつ、その繰り返しをしつつも、きれいな夕暮れを見れば「きれいだね」と感じ、激しい雨の朝は自然の面倒くささと同時に湿気や雨水の冷たさを感じ、たまに虹がかかれば子どもたちと指をさしてお互いにその美しさを口にします。

そんな感覚は、昔・・・18世紀とは、あまり変わらないのかもしれません。
こと、子どもは・・・。
忙しさに埋没している大人には、子どもとのその感覚共有こそが、ゼタバイトを超えるものなのかもしれません。

あれ、こんな話をするつもりじゃなかったんですが(笑)。
1年の最後の1ヶ月ですが、このブログの投稿も少し新しいことをしていきます。

慌ただしい時期なのに、また慌ただしいことをする・・・。

よかったら、またお付き合い下さい。