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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【小さな旅】ホノルル・マラソン。 彼らが差し出したものは本当にビールだったのか? (1)

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村上春樹ラオスにいったい何があるというのですか?』(文藝春秋)を読んでいるうちに、ずいぶん昔にホノルルマラソンを走ったときの文章を思い出して、ふと取り出してみた。
どこにも公開していないはずだ。

まあ、20年近く前の一文なのでいろいろと若書きのようなところはあるけれど、連休だしもうすぐホノルルマラソンだしということもあって投稿してみることにした(若干の加除修正は施した)。
いろんなことが昔とは変わってしまったのだろう。

はじめてのマラソン

今回のツアーには、スケジュール的に2つの選択肢があった。レース前から現地入りして、徐々に身体を慣らしていく日程と、さっさとレースを終えて、あとはのんびりとハワイを楽しむ6日間、という日程である。
僕は、前者で参加した。

ホノルルマラソン大会自体は、いつも12月の第2週日曜日と決まっており、第25回大会*1は、12月14日に開かれる予定になっていた。
ホノルルには、レースの4日前に到着した。街はすっかりクリスマス模様に彩られていた。
今年は9月にも一度ハワイを訪れていたが、そのときとは打って変わって、厚い雲がかかり、雨さえ降っていた。ハワイらしいスカッとした日差しには恵まれず、まともに晴れ上がったのは、到着2日目とレースの後だけだった(後で解ったけれど、12月というのは、ハワイは雨季なのだ)。

ツアー自体の日程は、レース直前と出発時以外は自由行動。ただし、ランナーのためにレース直前のコンディショニングということで、毎朝2キロ程度を走るメニューが用意されている。参加は自由で、毎朝といっても3日間だけなのだけれど。

前夜のはしゃぎ疲れと二日酔いにいくら塗れていても、何とかそれには参加した。参加してもしなくても、僕より早く人はたくさんいたし、所詮納得の問題だけだろうが、僕はマラソンを走るためにここまで来たのだし、つまらなく見えることでも、「やっときゃよかった」と後から思いたくなかったのだ。

あちこちランナーだらけ

僕らが走っていたところは、ゴールが設営されるカピオラニ公園だったが、日が迫るにつれ、公園の中には、人もモノもどんどん膨れ上がっていった。あちこちにテントが張られ、柵が設けられ、コーン(円錐)が間隔をおいて置かれていった。
コンテナ車がひっきりなしに到着し、いろんなモノが降ろされていた。トイレボックスからコーラの自販機まで。ゴール櫓用の材木から、大会用の立て看板まで。
大会委員と地元ボランティアとアメリカ軍の兵隊と業者とがせっせと立ち働いているその合間を、ランナーたちが傍目には邪魔しているとしか思えないくらい、これまたせっせと走っていく。僕たちはいつも1時間ほどで切り上げるのだが、その光景は夜まで続くのである。

人が走っているのは、何も公園ばかりではない。カラカウア大通にも、アラワイ運河のほとりにも、期間中昼も夜も、どんな形にせよ、走っている人が、いつも視界に入っていた。そういうのを見ると「何もそこまで」と思ったりした。人のことはいえないですけれど。

レース前日の「儀式」

レース前日の午後から、だんだんとレースへの気持ちを昂ぶらせる儀式が始まる。
最初は、テーピング。
これは、所謂「保護」のためというよりは、筋肉の動きを補完するためのものである。脚が毛深い僕は「テープの密着性がおちる」と言われていたので、2時間かけて脚の毛すべてを剃った。
生まれてはじめてつるつるに剃ってみた。まるでイルカの表皮みたいである。
真っ白で無垢な両脚になったところに、10分ほどで肌色のテープがびっしりと貼られた。異様である。「ちょっとそのままの格好で外は歩けないんじゃないの」と付き添い連中に指摘され、慌ててスウェットパンツを買った。
そのあとは、ウェアにゼッケンをつける。それらのひとつひとつが、レース前の儀式なのである。

夕食は、「カーボ・ローディングだ」と僕が叫んで、日本食になった。一緒に付き添ってくれた仲間たちには、せっかくのハワイなのにちょっぴり申し訳ないなと思ったが、幸い誰も文句は言わなかった。
食べ終わったら、そのまま僕だけホテルに戻どって、さっさと寝てしまおうと思ったけれど、遊びつかれたんだと思う、結局みんなでホテルに戻って、一杯だけひっかけることになった。

僕の付き添いというのは3人で、みんな会社の仲間である。彼らは、今回は走らないが、「Mayor’s Walk」という、10キロを歩く催しには参加する。レースがスタートしてから、30分後、アラモアナ公園から、カピオラニ公園までを歩く。

アラモアナ公園はレースのスタート地点でもある。マラソンはそこを起点にして、大きくダウンタウンを迂回し、ゴール地点のカピオラニ公園を掠め、そのままダイヤモンド・ヘッドへと抜けていくコースを採っている。「Mayor’s Walk」のほうはまっすぐ海岸沿いをカピオラニ公園まで歩く。彼らはマラソンのスタートからゴールまでをほぼ一直線に歩くということになる。

レースのスタート時間は早朝5時。ホテルの出発は午前4時である。なので起床は午前2時。
起きたら、フロントでレース前の朝飯(おにぎり3個)をもらう。食べられなくても、取りに行かなくてはならない。睡眠のことを考えると、8時か9時にはベッドに潜り込むのが賢明である。眠れる/眠れないは、このさい、関係はなし。

いよいよスタート

寝たか寝ないかといううちに、モーニングコール。朝飯をもらいに行く。とにかく食べなくてはと思い、エヴィアン水片手に頬張る。
食べ終わったら、ワセリンを胸やら足やら脇やらにたっぷりと塗る。走っているときに、靴やシャツと、皮膚との摩擦による炎症を起さないためである。同室のやつは、徐々にレースモードに入っていく僕を写真にとっている。異様な風体の男一体、できあがっている。

午前4時すぎ、バスに乗ってアラモアナへ。暗くて、少し肌寒い。スタート地点30分足らずで到着した。
あちらこちがライトアップされ、いろんなツアーの幟が立ち、フラッシュが連鎖する。25回大会ということで、参加は膨れ、その数3万5千人とか。もっと騒々しいのを予想していたが、意外にも静かであった。

暗がりで公園全部は見渡せないからか、大して人なんかいないんじゃないかと思ったが、スタート地点に近づいてくるにつれ、それは間違いだったと気づいた。
午前5時ちょうど、スタートを合図する花火が幾重にも開いた。
波が動き出し、3万5千人が作る地鳴りの真っ只中に、ぼくはいた。(つづく)

*1:1997年のことか。じつはうまく記憶していない。