読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

では、あなたの旅にはいったい何があるというんですか?

22 ナリワイ・ノート

f:id:zocalo:20151120234604j:plain

紀行文というものに、憧れを持っている。芭蕉翁の『奥の細道』しかり、沢木耕太郎深夜特急』しかり、チャトウィンパタゴニア』しかり。
旅というのは、ほんとうに面白いものだと思う。
たとえそのときにうんざりするようなことが起こったとしても、あるいはひどい目に遭ったとしても。もちろん、素敵な女の子に出逢えたらとてもラッキィ。

いまぼくの子どもはふたりともまだ小さい。とても家族での長旅の余裕はない。まして、一人旅もだ。
子どもたちとはいつか一緒にどこかにでかけたいと思っているけれど、彼らが長じたらどうだろう。こんなおとーさんと付き合ってくれるだろうか。
そう呟くと、
「いつまでも付き合ってもらうようなお父さんでいればいいだけよ」
と家人に突き返された。
そりゃそうだけどさ。

だから余計に、旅には憧れる。
憧れるから、旅の本に手を伸ばす。

今日手にした、村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか?』(文藝春秋)をめくりながら、改めてそう感じた。
f:id:zocalo:20151121000255j:plain

たとえば著者が訪れた、アイスランドのとある半島についての、こんな一文。

我々の前にある風景はその広がりと、そのほとんど恒久的な静寂と、深い潮の香りと、遮るものなく地表を吹き抜けていく風と、そこに流れる独特の時間性を「込み」にして成立しているものなのだ。
そこにある色は、古代からずっと風と雨に晒されて、その結果できあがったものなのだ。それはまた天候の変化や、潮の干満や、太陽の移動によって、刻々と変化していくものなのだ。
いったんカメラのレンズで切り取られてしまえば、あるいは科学的な色彩の調合に翻訳されてしまえば、それは今目の前にあるものとはぜんぜん別のものになってしまうだろう。
そこにある心持ちのようなものは、ほとんど消え失せてしまうことになるだろう。だから我々はそれをできるだけ長い時間をかけて自分の目で眺め、脳裏に刻むしかないのだ。
そして記憶のはかない引き出しにしまい込んで、自分の力でどこかに運ぶしかないのだ。
(改行は引用者による)

人は思い出を残そうと写真(動画)を撮る動物だ。
ホモ・フォトグラフィア。
すいません、いま、適当につくりました(笑)。

写真は記憶の補正ツールでしかない。自己都合よく改竄され、すり切れていく記憶を甦らせるための。
けれどその記憶にこそ、経験の美しさや楽しさ、やるせなさが尽きることなく込められている。

そんな記憶が生まれる場所、近しい人たちと共有できる場所を、ぼくはつくってみたいと思ってる。