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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【書架 #190】真情あふるる新聞コラム ~深代惇郎の「天声人語」

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深代惇郎深代惇郎天声人語』(朝日文庫)。

朝日新聞一面の連載コラム「天声人語」。地方の一高校生だったぼくが意識しはじめたのは、大学入試準備の季節のことだったか。
深代惇郎が5代目天声人語の書き手として、「天下の朝日新聞」の看板コラムを担ったのは、1973年2月から1975年11月1日までだった。
彼はその1ヶ月半後、急性脊髄性白血病でこの世を去ってしまう。1975年12月17日のことだ。享年46。

この本は彼が執筆した天声人語のなかからベストセレクトしたものだ。

天声人語」というのは、地方の一高校生としては「ありがたいもの」として純粋に承るばかりだったが、その幻影を見事に打ち砕いたのは、だいぶあとになって読んだ、日垣隆「ひきこもる『天声人語』の断末魔」「『天声人語』パワーダウンの歩み」(それぞれ、文春文庫『エースを出せ!』所収)だった。

エースを出せ!―脱「言論の不自由」宣言 (文春文庫)

エースを出せ!―脱「言論の不自由」宣言 (文春文庫)

その切っ先は、当時「天声人語」を執筆していた「天声人語クン」(朝日新聞論説委員 小池民男氏のこと)を鋭く切り捨てたけれど、深代惇郎については、その執筆テーマの幅広さに加え、独特のユーモアと皮肉とを評価した。
坪内祐三にいわせれば、ミスター天声人語といえば、昭和30年代までは荒垣秀雄だが、2代目は深代惇郎だという。

大きな声でいえないが、ふとしたことで盗聴テープが筆者の手に入った。驚いたことに、先日の閣議の様子がそっくりテープで録音されているではないか。》ではじまる「盗聴テープ」(1973年10月31日)は、じつは全文冗談だが、ユーモアを解さない《二階堂官房長官から、本社あてに、厳重な申し入れ文書がきた。》という「本当のこと」を翌日のコラムでばらしてしまう、ということもやったりした。
いや、いささかユーモアが先走っているような(苦笑)。

氏のコラムのなかでも、坪内祐三オススメの「ボルテージ」という一文を読んでみる。

毎日、コラムを書いていると、きょうは思うような材料が見当たらないという日もある。書くことがなくて、書かねばならぬときは動物園に電話を入れる、というのが昔から新聞記者の習性の一つにあった。

という書き出しは、こんなリアルな内省の結末へとつづく。

書くことがなくて、動物園にも異変がなくて、トイレットペーパーも出回ってきて、雪月花にも感慨がわかないとは、政治の悪口を書くといってはふがいない話だが、そういう時もある。本人は、ほかにないから書いているのであって、そう朝から晩まで悲憤慷慨しているわけでもないのに、コラムだけは次第に憂国ボルテージが上がって、自分とはいささかちぐはぐの「書生論」になる。
ジャーナリズムには、そういう気のひけるところがある。

こんな真情あふれる一文が、朝日新聞の名物コラムに載るなんて。
コラム創設110年以上の歴史のなかでも、希有な時代だったのだろう。

深代惇郎の天声人語 (朝日文庫)

深代惇郎の天声人語 (朝日文庫)

深代惇郎青春日記 (朝日文庫)

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