読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【書架#188】言葉は刺さるのではなく手渡すものだ ~『ふたつめのボールのようなことば。』

30 自在眼鏡の本棚 34 エッセイ・コラム・散文

f:id:zocalo:20150930061457j:plain

糸井重里『ふたつめのボールのようなことば。』(ほぼ日文庫)。

いまごろですか? って訊かれるのはよっく解ってんですが、糸井重里の話をあちこちで読んでます。
いまさらながらに、言葉のひとつひとつが刺さってきてー。

いまごろですか?(笑)

この本、糸井さんが書いたすべての原稿からの「抜き書き帖」です。2012-14年にシリーズ刊行された別の本からのダイジェスト。
箴言でもあり警句でもあり、一編の詩でもあり。

能書き垂れるより、手にしてもらったほうがいいですね。
いま、脈絡なくぱっとめくってみました。

「じゃあお前がやってみろ!」は言わないが、
「じゃあお前は何をやってるんだ?」は言う。

「悲しみ」を感じることは、どう言えばいいのかな、幸福のひとつの要素なのかもしれません。
子どもを持って親になったとたんに、子どものなかの「悲しみ」を見つけられるようになります。
そう、犬や猫のなかにも「悲しみ」を見ます。
「かわいい」だけじゃなくなってしまうのです。
そんな困ったことになってからが、たのしいんですよね。

じぶんの意見のちがった人を攻撃するよりは、じぶんの「基準」を示すほうが建設的だと思う。

抜き書きの抜き書きをしたいくらいだが、きりがない。
でも、こうやってボールのような言葉を、糸井さんからぼくは受け取る。

ボールのようなことば。 (ほぼ日文庫)

ボールのようなことば。 (ほぼ日文庫)