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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【読む #178】阿川弘之・佐和子の父娘関係に思い巡らす「週刊文春」対談

30 自在眼鏡の本棚 34 エッセイ・コラム・散文

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阿川佐和子阿川佐和子のこの人に会いたい」(「週刊文春」2015.9.3号所収)。
この対談、もう1000回を超えているんですね。thx.hateblo.jp

阿川佐和子の父であり、作家・阿川弘之が亡くなって9/3でちょうど1ヶ月になる。その死を悼んで、2011年1月13号の「週刊文春」に掲載された、阿川弘之・佐和子の親子対談が再録された。この号、読んでるはずだが、内容覚えてないので新鮮です。忘却とは忘れ去ることなり。

最後まで日本語にこだわった作家らしく、対談前半では「日本語とは祖国のことだ」という。

国語を大切にしろ、祖国とは国語のことだ、というのは、山本夏彦さんも藤原正彦さんも言っている。僕の口から言うなら、国語は日本の文化、伝統そのものだからね。

(辞書に)間違いがあるのは仕方のないことでね。ただ、新しい言葉、近頃流行り出した言葉を認めるのに寛容すぎる。
(中略)
たとえば、「いぎたない」という言葉がある。この「い」は「寝」だからね、「寝相が悪い。惰眠をむさぼっている」という意味しかないんだよ。ところがいつの頃からか、「いぎたなく弁当食べちらして」というふうに、汚らしいとか下品という意味に使われるようになった。見識のある辞書なら、それは採用しちゃいけないんです。あるいは用例を示してこれは誤用であるべきだと書くべきなんだね。

それを受けて、娘はこう返す。

私が目上の方と電話でお話ししてて、「この間は佐和子ちゃん、ありがとう」と言われたので、「とんでもございません」って言ったら、ダーッとお父ちゃんが寄ってきて、「とんでもございませんとは何だ! 『とんでもない』と言え!」

そんな口うるさい父親だが、全集を出す際に若かりし頃の文章を再読すると、日本語の誤用の多さに、

いくつも出てくるんだよ。やんなっちゃった(笑)

と苦笑する。

丁々発止で仲むつまじい父娘関係かと思いきや、対談は意外にふたりの関係からはそれて展開していってしまう。いや、その逸れかたゆえに、佐和子さんの緊張ぶりと困惑ぶりも読み取れるのである。

今回の再掲のあとに、娘は父親との関係を記した一文を寄せている。

父さんとの関係はどうも複雑で、私にとって幼い頃からひたすら怖くて煙たい存在だったので、素直に甘えることはできなかった気がします。まわりの人たちは「一人娘がいちばん可愛いいに決まっていますよ」と言ってくださいますが、私に対して父さんが、「佐和子は可愛いねえ」なんて、声にも表情にも素振りにも、出したところを目撃したことは一度もないですよ。(阿川佐和子「ギクシャク父娘」より)

これもまた、一局の関係であります(笑)。


阿川弘之さんが亡くなってすぐに佐和子さんが語った思い出が素敵でした。thx.hateblo.jp