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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【明日への本棚 #139】大阪の本屋発行委員会篇『西加奈子と地元の本屋』で感じた、大阪の人ってデフォルトおしゃべりに意識的なのね

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大阪の本屋発行委員会篇『西加奈子と地元の本屋』(140B)。

単なるベタ、ではない、けど外してないタイトル(笑)。
前回の直木賞選考会のあとに、地元の紀伊國屋に立ち寄ったら、置いてありました。
こういうの、うれしー。さすが全国区と思ったら、この冊子のプロジェクトには取次さんがからんでるのねん。
この冊子、あの、140Bが発行してんだ。

日本には多くの方言があり、その土地で食される食べ物があるように、その土地固有の文化を持つ地域「地元」があります。なのに、日本全国の読者に共有されていく「本」の一冊を手にとっても、表面的には「地域性」はほとんど感じられません。
しかし、その本が生まれた場所、その本を生みだした人、そして本を販売する本屋も、既にその「地元性」を含んでいて、それらは一冊一冊の創られ方・売り方・読まれ方に色濃く反映していて、独自の物語を生んでいるのではないでしょうか。

冊子の大半は、西加奈子津村記久子の「大阪で書くこと、大阪を書くこと、大阪弁を使うこと」についての対談。奇しくも(?)直木賞作家と芥川賞作家との掛け合いだ。

お互い作家同士ということもあるので当たり前かもしれないけれど、ふたりともとても言葉に敏感だ。ことに、自分たちが全国区の方言を使っていることに。
大阪弁吉本興業の「東征」で、全国区になっていき、あちこちで大阪弁を意識させられながらも(西はそれを「大阪弁での言葉の再生」といった)、津村は「すべて場所がローカル」であり、そこから書いていくのだと腹をすえる。

すごく近しいことを書く方が、実は世界中に広がるんじゃないか。特に子どもの話は、世界中の誰もに子ども時代があったら、みんなが「自分の話」にも読める。

この感覚を表現した言葉があったと思ったが、残念思い出せない。
さて、この対談にも名前があげられたが、大阪出身で芥川賞作家の柴崎友香なら、この対談にどう切り込んでいっただろう。
あるいは、坪内祐三なら。

西加奈子と地元の本屋

西加奈子と地元の本屋