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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【同時代ノート】村上春樹の短編から思いつくままに(1)

20 同時代ノート

※ネタバレ記述あり。

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村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋)から、「ドライブ・マイ・カー」をあげてみる。タイトルは自体、『ノルウェイの森』と同じく、ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」に収められた曲を想起させる。

主人公の家福(いえふく)は、(おそらく)還暦に近いベテラン俳優。20年連れ添った、女優の妻に子宮がんで先立たれて、いまは独り身だ。
彼は諸事情から、長年乗ってきた愛車(12年で10万キロ超の黄色いサーブ900コンバーティブル)の専属運転手として、渡利みさきを採用する。雇ってみると、みさき自身は寡黙だが運転手としては有能で、家福は彼女にとくに不満はなかった。

そんなあるとき、クルマに乗っていた家福に、珍しくみさきから声をかけてきた。
彼女の他愛ない質問に誘導されるように、家福は亡くなった妻の不貞と、関係していた男の話をはじめる。

家福は、亡妻にたいする自らの愛と思慕の深さを静かに語りつつも、愛していたはずの彼女がじつは家福以外の男としばしば寝ていたことを知っていた。妻の不貞は、産まれてまもない女児を失ったあとからはじまっていたようだった。
彼自身はその不貞を知っていたにもかかわらず、そんなことはおくびにも出さなかったが、内心で彼は愛している女性がなぜそういうことをするのか悩み苦しみ、しかしその上で妻を愛しつづけた。

けっきょく、妻に問いただすこともなく、彼女からも答えのようなものを聞くこともなく、彼女は死んでしまったのだった。
死別後に、家福は何人かの女性と交際してはみたものの、妻との既視感の延長にすぎす、自分は妻のことを本当によく理解していなかったのではないかという焦躁と悔しさが内面から消え去らなかった。

そして、妻の浮気相手のひとりだった、高槻という俳優に近づき、怒りを抑えながらも彼女の浮気の真相を探ることと、ささやかな復讐を企んで「友だち付き合い」をしていたことを、みさきに告白する。

高槻との友だち付き合いでは、最初家福は「ふり」をした。つまりは演技したのである。しかしふたりは驚くほど親密になり、酒を交わし何時間も話し込むような仲になっていた。
みさきは訊いた、「それで、高槻とは本当の友だちになったのか、それとも演技だったのか」と。
家福は「両方だろう」と答えた。

「その境目は僕自身にもだんだんわからなくなっていった。真剣に演技をするというのは、つまりはそういうことだから」

この短編を読みながら、ぼく自身がアタマに浮かんだのは、村上作品でよく言及される、「あっちの世界」と「こっちの世界」の構図である。
ここでは、「演技している世界(演技的世界)」と「演技でない世界(非演技的世界)」がそれにあたる。このふたつの世界を、家福は往復しているのではないか。

家福自身は、妻とは「演技している世界」でしか交流できなかった。その交流は「演技していない世界」には展開できずに、そしてその可能性も妻の死で終わってしまった。
自分はそれで苦しんでいるのに、高槻は妻と「非演技的世界」で交流できていた(と家福は思いこんでいた)。

そのことに家福は怒り嫉妬していた。だから、彼は高槻に復讐しようとして「演技」して近づき、高槻もまた「演技」して家福を迎え入れた(最後のほうでちらりと本音を出しそうになるが、高槻はそのまま「演技的世界」に留まる)。
そして、「あるとき急にいろんなことがどうでもよくなってしま」い、高槻との付き合いを唐突に終わらせる。

家福は、みさきにこう言った。

「でも、はっきり言ってたいしたやつじゃないんだ。性格は良いかもしれない。ハンサムだし、笑顔も素敵だ。人当たりも良い。でも敬意を抱きたくなるような人間ではない。弱みを抱え、俳優としても二流だった」

「非演技的世界」においても、高槻という男が「なんでもない男」、すなわち「空っぽ」だということを、家福自身理解したのである。

なのに、なぜ自分の妻はそんな男と寝てしまったのか。
その長年の疑問について、みさきはあっさりと答えめいたものを提示して退ける。

「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」とみさきはとても簡潔に言った。「だから寝たんです」

家福が、妻は「非演技的世界」で高槻と勝手に交わっていたと思っていたのは、彼自身の単なる思いこみであり、彼女もまた「演技的世界」で遊んでいたにすぎないということなのか。

「そういうのって、病のようなものなんです、家福さん。考えてもどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、呑み込んで、ただやっていくしかないんです」
「そして僕らはみんな演技する」と家福は言った。
「そういうことだと思います。多かれ少なかれ」

みさきの言葉は、慰めか、いたわりか、それとも諦めか。
病が「非演技的世界」、つまりはリアルのものであるのなら、それをやり過ごすために、いなすために、人は「演技的世界」に遊ぶ、ということなのか。

少し眠ろうと家福は思った。ひとしきり深く眠って、目覚める。十分か十五分、そんなものだ。そしてまた舞台に立って演技する。照明を浴び、決められた台詞を口にする。拍手を受け、幕が下りる。いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない。

立ち位置のズレは解消しない。いったい自分が立っていた元の位置はどこなのか、やがて解らなくなる。
それを受容しなさいと、みさきは言っているのだろうか。

女のいない男たち

女のいない男たち

女のいない男たち ヘミングウェー短編集2

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積ん読王のリテラチャーサークル「ブックブレイク」の2回目を開催します。

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