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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【刺さる読書 #60】 山口瞳「冬の公園」を、初冬の日差しで暖かいベンチにすわって読むなんてちょっと贅沢かしら

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ままならないことだらけの人生で、子どものことはその上位に来ると思う。
先週は、顔に発疹がでた、膝を打って腫れている、熱がでた、と保育園から3日も呼び出しを食らった。
こうなると、仕事どころではない。
仕事ばかりか、三連休の遠出の予定もフイになった。だからといって、彼らにあたるわけにはいかない。

この連休のあいだ、地元で話題のショッピングモールがグランドオープンとかで大賑わいらしいのを尻目に、初冬の公園へと子どもたちと出かける。家内は不在。
午後の日差しはすっかり弱々しくなっていて、彼らと遊んでいるうちに冬の陽は、あっという間に落ちていく。

冬の公園は空いている。
空気が澄んでいる。
暖かい日の冬の公園はいい。すこしぐらい寒い日でもいい。木の葉がすくないから、すきとおって見える。遠くまで見渡せる。乾燥しているから、音がひびく。静かだ。落ち葉がないから径も固くかわいている。陽射しが薄いから森が美しく見える。

週刊新潮に、昭和38年12月から平成7年8月まで、31年間と9ヶ月、1614回に亘って、山口瞳はエッセイ「男性自身」を連載した。
「公園は、冬のほうがいい。」ではじまる、「冬の公園」と題されたこの話は、その一編である。話は、いつかその公園で出会った一組の夫妻が離婚した話に展開していく。
その夫たる人が、まるで子供のように公園のゴーカートに夢中になって6回も乗り、その度に夫人が手を叩いて喜んでいた光景を、ちょっと異常ではなかったかと結ぶ。
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冬の一日を無造作に切り取った、何の結論があるわけでもない、このエッセイが好きだ。いや、「男性自身」ならなんでもいい。気分が落ちこんだときなどには、本棚から山口瞳を取り出して、あっちこっちを読んでいく。
読んだからといって気分が晴れることはないけれど、ひとつひとつ読み終わるたびに、肺の空気が入れ替わる気がする。
去年は、山口瞳を本棚から取り出す回数が多かったように思う。年々その回数は増していっているように感じるけれど、単にそう思い込んでいるだけかもしれない。

娘は夜になっても、ずっとはしゃいでいた。
ぼくは山口瞳を本棚に戻すと、「さあ寝よう」と娘に言った。

山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇 (新潮文庫)

山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇 (新潮文庫)