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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【書架ノート #177】『正午二分前』で描かれた関東大震災から、まだ100年も経っていない

30 自在眼鏡の本棚 35 ノンフィクション・記録

ノエル・F・ブッシュ『正午二分前 外国人記者の見た関東大震災』(向後英一訳、早川書房)、読了。1967年ハヤカワ文庫版の修正・再編集版。
防災の日ということもあって、関東大震災ものを読んでみた。

正午二分前 (ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース)

正午二分前 (ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース)

巻末の佐野眞一の解説にもあるが、関東大震災をテーマにした作品というのは、案外見当たらない。浅学なので、吉村昭の『関東大震災』あたりしかパッとアタマに浮かばないのだが。

この本は、アメリカのジャーナリストが、関東大震災という大天災を乗り越えた人びとの貴重な証言と、残された膨大な資料から、あらためて関東大震災の全容をあらわしたノンフィクションだ。
書かれたのは、震災から約40年後。

著者のノエル・F・ブッシュは、ニューヨーク生まれ。プリンストン大学卒業後、1927年から10年間にわたりタイム誌の編集を務めたあと、創刊されたばかりのライフ誌に移り、編集者、記者、執筆者として活躍した。同誌を退いた52年から54年まで日本に滞在した。

ベテランの国際ジャーナリストらしいなと思うのは、その書き出しにある。
1923年8月31日、日本では翌9月1日に、世界では同時的になにが起きていたのか、カメラはゆっくりと地球儀を廻りつつ東京へとフォーカスをはじめる。やがてカメラは東京上空から地上を眺めつつ、「東京」という都市の成り立ちを説明する。

あたかも東京市の上にのしかかるまっ黒な大ばさみのような形の、中央気象台の塔の大時計の日本の針が、刻一刻と正午に迫っていた。
その時計の両針が重なろうとしていたころ、ときの東京市長永田秀次郎は市庁舎の彼の事務室の、柔らかいクッションをのせた椅子にかけていた。正確にいって11時58分44秒6、この市長室の天井に下がっていた電燈が左右に揺れたときに、永田市長は--あとで思い出したことだが--大声で叫んだ。
「おおっ」と彼はいった。
地震だ!」

関東大震災のニュースが最初に世界に向けて打電されたのは、東京からでも大阪からでもなく、福島県いわきの無電局からだった。

本日正午大地震起り、次いで大火災を生じ、全市火の海と化して死傷算なし。輸送機関はすべて破壊され、通信機関は断絶。水も食糧もなし。至急救援を乞う。

著者は、震災を体験したいろんな人たちに生の声を聞いていった。「その日」の彼らの様子が、具体的に活写されている。
なかでも、隅田川近くの下町に住んでいた、池口栄吉という医師の話が生々しい。

それから数分たつと、風は静まり、叫び声も悲鳴もやんだ。そしてこんどは、全く静かになった。あたりを見廻した医師には、急にそうなったわけがわかった。みんな死んでいたのだ。
池口医師は、三人の子供たちと夫人の死体を地上に並べた。そのそばに横になった彼は、自分も死んでしまいたいと思った。
しかし、彼は考え直した。そして、いま自分が死んでしまったら、この家族の死を葬ってやる者がいなくなる、と思った。
(中略)
顔を地べたにつけていたほうが、息をしやすいことを知った彼は、トンネルの中をはいながら、川に面したほうの門に近づいていった。
(中略)
この間に、彼の両手の甲は骨まで焼けてしまった。髪の毛と、頭の天辺の皮膚も、すっかり焼けた。耳は、両方とも焼け落ちてしまった。

この本は市井の人びとの様子だけではなく、この震災がのちの大きな戦争に日本を駆り立てていった補助線となったことをも、炙りだしている。

戦争は、愛国の情熱をかき立て、一つの目標を意識させるが、地震は人々を憂鬱にし、絶望的にし、かつ無気力にする。
(中略)
地震というものは、意識的な歴史の世界であるところの目的的な原因結果の世界の一部を構成するものではない。それは、目がさめると忘れてしまう、あの悪夢に似ているともいえのだ。
しかし実際には、地震は悪夢でもなければ、また単なる統計の積み重ねでもない。それは、全く現実なのであり、しかも多くの人命を左右するものなのである。

東日本大震災から来年で5年。
外国人による丁寧な仕事は、まったく色あせていないどころか、忘れることへの戒めと映る。