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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【刺さる読書 #035】カフカ『変身』でわかった、古典はエンターテインメントだよ

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お盆の時期でお休みの方も多いので、ここしばらくはエンターテインメントの作品の感想文をあげることにします。

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ネタバレ記述あり。

ということで、まずはフランツ・カフカ「変身」(丘澤静也訳、光文社古典新訳文庫『変身、掟、その他2篇』所収)。
はじめて読んだのは学生のころだから、再読はもう20年ぶりくらいになるか。その当時はたしか新潮文庫版だった気がする。

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

ご存知のように、主人公のザムザは冒頭でとっくに虫に変身してしまっている。たとえば中島敦の『山月記』なら、虎になった主人公がなぜに虎になってしまったかを友人に切々と訴える。
しかし『変身』のザムザはそんなことはしないし、悩まない。「馬鹿でかい虫」に変身したのに?

むしろ彼は「このままでは、出張のための列車に乗り遅れてしまう」ことに慌てている。仕事のほうに関心が向いている。あるいは自分が大黒柱になっているこの家の遣り繰りのことだ。なんて現実的なんでしょ!

彼と暮らす家族は、最初こそザムザが「馬鹿でかい虫」になってしまったことに驚き、パニックになる。ザムザの会社の上司も家までやってくるが、ザムザの姿を見たとたん逃げまどう。
ザムザはこのままでは会社を首になってしまうと、上司に話しかけようとするが、父親にステッキで追い払われて怪我をする始末。
しばらく時間が経つと(ここまで1ヶ月)、最初こそ驚いていた家族もザムザの存在に慣れてくる。彼の世話をするのは妹の役目。妹は虫になったザムザをやれやれと思いながら、腐りかけの残飯を与えたり、ザムザを邪険にしつつ部屋の掃除をしたりする。

そのうち、彼ら家族は蓄えもなくなってくることへの不安から、それぞれ働きにでることになる。ザムザが探してきた今の家は広すぎると文句を言いだし、下宿屋を開く。
虫に変身して1ヶ月、家族はとても現実的に動きはじめるし、そもそもザムザにいたっては、虫になったことへのパニックというよりも、自分の部屋の窓から眺められる外の風景に癒やしを感じているくらいである。

だが父親から投げつけられたリンゴによって、背中に怪我をしたザムザは、その傷が治らずにどんどん衰弱していく(ここまでさらに1ヶ月)。遂には死んでしまう。さして翌朝出勤してきた家政婦によって、ゴミとして扱われ、さっさと捨てられてしまう。
ザムザが居なくなった家族は、ホッと一息をつく。そして家族三人で電車ででかける。暖かな陽光が車窓から降り注ぐなか、父親と母親は娘に好い婿をさがしてやらなきゃと考える。

このあらすじだけを読むと、なんとも陰鬱で不条理と思われる向きもあろうが(これはぼくの伝える力がないだけ)、この『変身』という話、たしかに不条理だろうが、思わず笑ってしまう不条理である、というのが今回光文社古典新訳文庫版を読んだ印象。悲しい場面でもどこか笑ってしまう。
変身して虫になったあとのザムザ自身の自問自答とその振る舞いも、どこか可笑しいし、読んでいる方はツッコミを入れたくなってくる。
最後のあたりのシーン、ザムザは死んでしまい、ほんとにあっけなく片づけられる。数行でさっさと処理される、そのあっけなさぶりに思わず笑ってしまうが、彼の存在に苦しめられてきた家族の振る舞いも、どこか滑稽に感じられしまう。
要するにコントであって、これはぼくが長いこと抱いていた『変身』への、真面目で、出口のない陰鬱な作品というイメージとは真逆である。その気づきに自分自身、正直驚いた。

訳者の解説によれば、カフカはこの物語を「友だちに笑いながら読んで聞かせた」という。
もう、コメディじゃないですかね、『変身』は。