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積ん読王の 自由画帖

〈読み、考え、旅をし、見て、話して、書く〉同時代ノート。

【刺さる読書#014】ゴーゴリ「鼻」には、落語が似合います

30 自在眼鏡の本棚 33 小説・創作 36 古典

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*ネタバレあり

ニコライ・ゴーゴリ「鼻」(浦雅春訳、ゴーゴリ『鼻/外套/査察官』所収、光文社古典新訳文庫)、読了。この短編、書かれたのは1833年から1835年にかけてで、発表が1836年だとか。すいぶん時間をかけている。

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

ある朝のこと。ペテルブルクで暮らしている、理髪師のイワン・ヤーコヴレヴィチが朝食を摂っていると、パンのなかから人間の鼻が出てきた。それが3月25日の話。
その鼻の主は、店の常連客である八等官のコワリョフのモノだと、イワンはすぐに悟った。
さて、その鼻をどうすればいいか。悩んだ挙げ句に、どこかに捨ててしまおうと外にでかけたイワンだが、あれやこれやと邪魔がはいる。ようやっと、イサーク橋のたもとにたどり着き、足下を流れる川に捨てたところで、一部始終を見ていた警官に職務質問されてしまう。

一方、八等官コワリョフは自分の鼻がなくなっていることに気づいて、戸惑いパニックにおちいる。気を静めて街へと探しに出かけると、目の前の馬車へ、制服に身を包んだ五等官然とした自分の鼻が乗ろうとするところに出くわす。
慌ててその馬車を追いかけ大聖堂で追いつくと、鼻に向かって問いただす。

「あなたはぼくの鼻なんですよ!」
「何かのお間違いでしょう。私は私ですよ」

目を離した隙に鼻はどこかへ行方をくらます。困り果てたコワリョフは、大聖堂を出ると、鼻を探すために新聞社に広告を掲載してもらおうとするが、一笑に付されてしまう。ま、そりゃそうだ。

ところが、ほどなくして鼻が見つかるのである。国外逃亡を図ったとかのカドで、警官にとらえられたのだ。
さて、鼻は見つかった。しかし肝腎の元の場所にはどうやっても戻らない。慌てて病院に駆け込むが医師には治療を拒否されてしまう。

「こりゃあダメですな。このままでいらしたほうがいいですよ。下手なことをしちゃあ、一層わるくなりかねませんからね。もちろん、くっつけることはできます。付けろと言われれば、付けて差し上げますが、ほんとのところ、それはあなたにとってよろしくない」

呆然と立ち尽くすコワリョフ。そりゃそうだ。この話は街中の噂になり、コワリョフの鼻が街を徘徊しているといって、大騒ぎになった。
しかし、その騒ぎもある日唐突に終わる。それが4月7日の話。
彼の鼻は何事もなかったかのように元の場所に戻ったのである。そして、コワリョフは上機嫌な毎日を過ごしましたとさ。

って、どんだけヘンな話やねん!

とまあ、こんな奇妙で訳の解らない話が、この文庫では落語調で翻訳されている。訳者の浦によれば、ゴーゴリは朗読の名手で、身振り手振りを交え声色も変えて巧みに語ったといわれ、そのスタイルが小説に反映されているというから、落語調での訳出はもってこいだろう。
なにより、訳者自身が楽しんでいることが、解説でうかがい知れる。また今回の落語調新訳は、浦自身のオリジナルではなく、翻訳家の江川卓が嚆矢だという。

浦の新訳は、読んでいてほとんど不自然さを感じさせない。かえって、これが落語調でなかったら、この短編の持ち味や魅力はどれだけ削がれてしまっていただろうか。訳文では、一箇所だけ気になったところがあるが、このさいそれは不問にしておこう。